fukufuku813’s blog

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獄中日記!権利収入と労働収入

もうすぐ乾季も終わると言うのに
最近のカンボジアは朝晩が肌寒く

扇風機をつけて寢れません。

先週、折角綺麗に洗って干しておいたプーイ(ブランケット)を盗まれてしまい。 涙😢

仕方なく囚人服の長袖長ズボンを着て寝ています。


前回の話しの続きをしよう


商品先物取引で自己資金を失った俺はなんとか新店舗オープンに向けて

資金を用意して無事に開店の日を迎えた!

店舗は1Fがとんかつ割烹の店 
2Fが宴会場兼しゃぶしゃぶ食べ放題の店、3.4Fが自分の家族と父母の自宅になっている店舗併用住宅だ


田舎町の郊外型店舗だが、
隣には大型ショッピングモールなどができて地元でも最大の商業地域になった

当然、連日沢山の人々が集まる地域になってうちの店も商売繁盛した


このまま売上を伸ばして2号店、3号店と増やして行こうと自分の描いた未来予想図、自分の夢に向かっていた。

そんなある日、道を隔てた斜向かいにとんかつチェーンの店がオープンすると言う情報が、、、

そう以前はとんかつ屋と言えば専門店しかなった!

理由は素人が揚げられないから

厳しい修行を積んで技術を身につけた人しか作れなかったからだ 


それが調理器具メーカーの開発が進みなんと素人でも簡単にぶ厚いとんかつを揚げられるオートメーションのフライヤーが発売されたのだ!

手前から冷凍のとんかつを入れるとベルトコンベヤー式に油に入っていき上がると出てくると言う優れもの


当時で500万ぐらいしたと思う

資本力のある大手チェーン店が続々と全国でオープンした。


少ない田舎町、人口もたいしたことなければ、外食する頻度も少ない


当然、お客さんの取り合いになり
減少する。

それでもうちはチェーン店とは違うプロの専門店だからと差別化をして頑張っていた。


何よりしゃぶしゃぶ食べ放題をやっていたから、そちらも下支えになっていた。


が、人生困難はつづくものだ!


皆さんは覚えているだろうか

狂牛病事件!

そうあの事件である

一気に国民全体が牛肉を食べなくなった!


うちのしゃぶしゃぶはUSの輸入牛と地元の上州豚を扱っていた!

割合は五分五分!

その半分が減った!

ただ地元産の上州もち豚のしゃぶしゃぶはとても人気があり

あっさりとしていて脂身も少なくヘルシー志向のお客さんに人気があった。


そして悪夢は再び!


狂牛病2回目の事件!

輪をかけて鶏インフルだのがあって

今度は国民全体が肉を食べなくなった。


流石に売上は激減!

最初に全国の焼き肉屋が潰れていった。


あの時は本当に辛かったのを覚えている。


俺は地元のお客さん以外の集客を狙って都内の観光会社に店の休日の度に営業をかけていた!


実はうちの店の前をいつも他県の観光バスが通っていたのだ


旅の途中に地元名産の上州もち豚のしゃぶしゃぶを売り込んでいたのだ


商売は常に新しいことを模索して
先へ先へと進んでいかないといつ衰退するかわからない!

それ以外にも葬儀屋さんに営業をかけ仕出し弁当を売り込んでいた

昔は葬式と言えば自宅かお寺でやるのが一般的だった!

それが当時流行りだしていたのが
葬儀社が自社の葬儀場を建てて

お通夜から告別式まで、全てをその会館でとりおこなえると言う画期的なシステムを打ち出していた


当然、お通夜や告別式に参列してくれた方々に食事やお酒を振る舞うのが常識だった


その食事の部分を仕出し屋ではなく

本格派の専門店が提供すると言うアイディアでこれも当たった!

ライバル店出現!

狂牛病事件2回!


困難を次々と乗り越えて働いていました。

ただ観光バス客は毎日あるわけではないし、季節によってかなりの差があった!


そして葬儀屋の仕出しは数が纏まり助かるのだが、、、、

人は突然亡くなる!

観光バス客みたく来週の日曜日の12時から50人とかなら準備もできるが

葬儀屋はそうはいかない

夜の10時過ぎに電話がかかってきて
明日のお昼に仕出し弁当100個!

明後日の夕方に仕出しを80個!


と、言った調子で注文が来る


3〜5社と契約していたから

重なる時はとんでもないことになる


家族総出で寝ずに仕込をすることも多々あった!

その都度、厨房の中は戦争でした!


忙しくなってくるとみんな気が立ってきてイライラとしてくる

俺が妹や母に怒鳴りちらす!

すると母が親父にやつ当たりする!



確かに仕事を終えた時は達成感はあったものの


このままでは親父とお袋が早死すると思いました。

うちの爺さんは早くに死にそのせいで親父は学年でも3本の指に入る秀才にも関わらず、高校へは行けず

15から働き出し自分の働いたお金で4年間、定時制に通って勉強した苦労人だ!

そんな親父が45年間勤めた会社を定年退職して
余生はのんびり暮らせるはずが、


息子の店でこき使われて、
なにモタモタしてんのよーと、

怒鳴られて



俺は誰のために何のために仕事をしているのかがわからなくなりました


自分の夢のために家族を犠牲にして


こんな人生で良いのか?

自問自答する毎日が続きました!




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